question
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choice1
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choice2
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choice3
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choice4
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answerNo
|
answer
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string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
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Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
1
|
近松が描いた浄瑠璃作品の中で、現世町人の社会的な悲劇を3段の簡素な形式と流麗な文章で綴ったものを何というか。
|
現代物
|
世話物
|
時代物
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歴史物
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2
|
世話物
|
2
|
近松は、享保9年(1724)に大坂天満で没したが、近松が葬られているお寺は、広済寺とどこ。
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大通寺
|
来迎寺
|
三津寺
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法妙寺
|
4
|
法妙寺
|
3
|
近松が初めて作者名“近松門左衛門”と署名した作品名は。
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嫗山姥(こもちやまんば)
|
佐々木大鑑(ささきおおかがみ)
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心中天の網島(しんじゅう てんの あみじま)
|
世継曽我(よつぎそが)
|
2
|
佐々木大鑑
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4
|
近松の歌舞伎作品の中でも最高傑作のひとつで、三国の遊郭が舞台となった『けいせい仏の原』に登場する越前の大名の名は。
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松平春獄
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柴田勝家
|
梅永刑部
|
結城秀康
|
3
|
梅永刑部(うめながぎょうぶ)
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5
|
浄瑠璃・歌舞伎作者 近松門左衛門、井原西鶴(浮世草子)とともに元禄三大文豪といわれている人物は誰。
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松尾芭蕉
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小林一茶
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西山宗因
|
竹本義太夫
|
1
|
松尾芭蕉
|
6
|
鯖江藩は、北陸道に面した浄土真宗誠照寺(じょうしょうじ)の門前町にあったが、家数十数軒の茶屋町に過ぎなかった。この町並みを何というか。
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間の宿
|
寺の宿
|
道の宿
|
民の宿
|
1
|
間の宿(あいのしゅく)
|
7
|
鯖江藩初代藩主 間部詮言(あきとき)は、誰の5男として生まれたか。
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間部詮良
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松平忠禎
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菅沼定長
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西田清貞
|
4
|
西田清貞
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8
|
鯖江藩の成立は、すでに藩領域をもつ越前の諸藩に割り込む形で領国支配が行われ、領域は3郡にまたがった。その3郡とは、今立・丹生とどこ。
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府中
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松岡
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大野
|
池田
|
3
|
大野
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9
|
鯖江藩初代藩主詮言(あきとき)の兄詮房(あきふさ)は、将軍2代に仕えた御用人であるが、その将軍は、徳川家宣(いえのぶ)と誰。
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徳川綱吉(つなよし)
|
徳川家重( いえしげ)
|
徳川家茂 (いえもち)
|
徳川家継( いえつぐ)
|
4
|
徳川家継
|
10
|
詮房(あきふさ)は、家宣(いえのぶ)が6代将軍になると老中格となり、宝永7年(1710年)5万石に封ぜられた。その場所は。
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村上
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長岡
|
高崎
|
宇都宮
|
3
|
高崎
|
11
|
10年余りを吉江で過ごした後、近松は公家の家に仕え、浄瑠璃作家の修行を始めるが、その間に出会った浄瑠璃の語りは誰。
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竹本義太夫(たけもとぎだゆう)
|
宇治嘉太夫(うじかだゆう)
|
植村文楽軒(うえむら ぶんらくけん)
|
竹本筑後掾(たけもとちくごのじょう)
|
2
|
宇治嘉太夫
|
12
|
近松が貞享元年(1684)、大坂に竹本座を創設した義太夫を祝って書いた作品は何。
|
出世景清(しゅっせ かげきよ)
|
天神記(てんじんき)
|
吉野忠信(よしのただのぶ)
|
碁盤太平記(ごばんたいへいき)
|
1
|
出世景清
|
13
|
上方の名歌舞伎俳優、坂田藤十郎が座元を引退したのは何という芝居小屋か。
|
南座
|
御園座
|
八千代座
|
都万太夫座
|
4
|
都万太夫座(みやこまんだゆうざ)
|
14
|
近松門左衛門の本名は。
|
杉森信義
|
杉森智義
|
杉森伊恒
|
杉森信盛
|
4
|
杉森信盛(のぶもり)
|
15
|
近松の浄瑠璃作品で、当代の好みにあって3年越し17ヶ月興行した傑作は。
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曾根崎心中(そねざきしんじゅう)
|
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)
|
国性爺合戦(こくせんやかっせん)
|
女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)
|
3
|
国性爺合戦
|
16
|
間部詮房(あきふさ)が、将軍の絶大な信任と稀代の経世家新井白石の協力を得て、幕政の大きく貢献したことは、何といわれているか。
|
享保の改革
|
天保の改革
|
正徳の治
|
寛政の治
|
3
|
正徳の治
|
17
|
初代鯖江藩主、間部詮言(あきとき)が入封した時の西鯖江村の村高は。
|
800石
|
3000石
|
10,000石
|
50,000石
|
1
|
800石
|
18
|
では、詮言(あきとき)が入封した時の西鯖江村の家数は。
|
27軒
|
265軒
|
675軒
|
887軒
|
1
|
27軒
|
19
|
詮言(あきとき)が入封した時の最初の難題は家臣団の移住と何。
|
新田の開発
|
陣屋の設営
|
領地の拡大
|
身分制の確立
|
2
|
陣屋の設営
|
20
|
領地が入り組んでいる鯖江藩領の支配には藩領を6つの組に分けたが、それぞれの組におかれたものは何。
|
藩邸
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大庄屋
|
組頭
|
名主
|
2
|
大庄屋(おおじょうや)
|
21
|
吉江藩の表門が寄進されたお寺の山門は、国登録有形文化財に指定されているが、そのお寺とは。
|
福正寺
|
瑞源寺
|
本楽寺
|
西光寺
|
4
|
西光寺(さいこうじ)
|
22
|
立待公民館前の近松門左衛門記念碑庭園は、あるものをかたどった庭園であるがそのあるものとは。
|
ちかもんくん
|
つつじ
|
三味線
|
ばち
|
3
|
三味線
|
23
|
また、近松記念碑庭園には、「近松門左衛門先生由縁之地」と記された碑があるが、その碑に揮毫した本県出身の作家は誰。
|
高見順
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中野重治
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水上勉
|
津村節子
|
3
|
水上勉
|
24
|
吉江藩は正保2年(1645年)に成立したが、その時の藩主松平昌親(まさちか)の兄で福井藩主だった人物は誰。
|
松平光通
|
松平昌勝
|
松平忠昌
|
松平昌明
|
1
|
松平光通(まつだいら みつみち)
|
25
|
近松が仮住まいをしたといわれている春慶寺の創建は何時代といわれているか。
|
奈良時代
|
平安時代
|
室町時代
|
江戸時代
|
1
|
奈良時代
|
26
|
鯖江藩第4代藩主間部詮茂(あきとお)は、安永2年(1773)に鯖江に入部しているが、藩主時代に起こった大飢饉では、領内の飢人救済に力を注いだ。その大飢饉とは。
|
寛永の大飢饉
|
天明の大飢饉
|
享保の大飢饉
|
天保の大飢饉
|
2
|
天明の大飢饉
|
27
|
鯖江藩第5代藩主間部詮熈(あきひろ)は武芸、学問を好み、京都からある人物を招き、藩士やその師弟の教育にあたらせた。その人物とは。
|
大山陶斎
|
芥川帰山
|
大郷学橋
|
芥川元澄
|
4
|
芥川元澄(あくたがわ もとずみ)
|
28
|
鯖江藩初代藩主間部詮言(あきとき)が亡くなった地はどこ。
|
村上
|
江戸
|
大坂
|
鯖江
|
2
|
江戸
|
29
|
鯖江藩第2代藩主間部詮方(あきみち)が鯖江に入部した時に、北陸道の藩領南北の出入り口に建設された門の名称は。
|
舎人門
|
追手門
|
喰違い門
|
木戸門
|
3
|
喰違い門
|
30
|
寛保2年(1742)関東を襲った大洪水の際、幕命により鯖江藩はある川の修復工事を命ぜられたが、その川の名前は何。
|
荒川
|
新利根川
|
隅田川
|
神田川
|
2
|
新利根川
|
31
|
寛保2年(1742)関東を襲った大洪水の際、幕命により鯖江藩はある川の修復工事を命ぜられたが、その修復工事の際の鯖江藩の総督は誰。
|
大河内信古
|
室賀正祥
|
大河内正質
|
植田左仲
|
4
|
植田左仲
|
32
|
近松が18歳の時に入集した俳句集の名前は何。
|
宝蔵
|
宝春
|
宝山
|
宝仏
|
1
|
宝蔵
|
33
|
近松は享保9年(1724)71歳で亡くなっているが、その年に上演された作品は。
|
傾城金龍橋(けいせい きんりょうのはし)
|
関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)
|
卯月紅葉(うづきのもみじ)
|
平家女護島(へいけ にょごの しま)
|
2
|
関八州繋馬
|
34
|
福井藩から分封されて成立した吉江藩の石高は。
|
5,000石
|
15,000石
|
25,000石
|
50,000石
|
3
|
25,000石
|
35
|
平成20年に「ちかもんくん」マークのハイブリッドごみ収集車が登場したが、「ちかもんくん」の隣に描かれているゆるキャラは。
|
たかしくん
|
ウルウル
|
さばにゃん
|
メガメガ
|
3
|
さばにゃん
|
36
|
昨年開催された「第14回たちまち近松まつり」で講演を行った文楽フォトグラファーは誰。
|
浅井慎平
|
河原久雄
|
織作峰子
|
土田ヒロ
|
2
|
河原久雄
|
37
|
鯖江藩第2代間部詮方(あきみち)の鯖江入封後苦労してようやく整った陣屋町に、再び、新しいまちづくりが課題となったが、その原因は何。
|
合戦
|
大地震
|
大洪水
|
大火
|
4
|
大火
|
38
|
鯖江藩3代藩主間部詮央(あきなか)の時、藩財政は極度に窮乏したが、その原因は。
|
娘の婚礼
|
放蕩三昧
|
鯖江城の築城
|
嚮陽渓の整備
|
1
|
娘の婚礼
|
39
|
藩財政窮乏の時、飢人に御救として支給したものは何。
|
米
|
粟
|
稗
|
麦
|
3
|
稗
|
40
|
近松会館(吉江・米岡ふれあい会館)敷地内にある近松門左衛門座像は、何を持っているか。
|
三味線
|
刀
|
杖
|
筆
|
4
|
筆
|
41
|
吉江藩のお泉水として利用され、ふくいのおいしい水にも認定されている榎お清水は何山の山麓にあるか。
|
天神山
|
経ヶ岳
|
春慶寺山
|
文殊山
|
3
|
春慶寺山
|
42
|
また、榎お清水に設置されていて、旅人が手を合わせていたものは何。
|
磨崖仏
|
お不動様
|
三尊仏
|
お地蔵様
|
2
|
お不動様
|
43
|
「近松の部屋」が設置されている市の施設は。
|
文化の館
|
まなべの館
|
立待公民館
|
近松会館
|
2
|
まなべの館
|
44
|
近松少年に親しみ、自然環境を学べる場として、平成19年度に当時あった池を再現したが、その池の名称は。
|
蓮池
|
鴨池
|
大谷池
|
西溜池
|
1
|
蓮池
|
45
|
吉江藩の城下町の名残である「吉江七曲り通り」で、ほとんど当時のままであるといわれているものは。
|
城壁
|
道路の区画
|
内堀
|
塀垣
|
2
|
道路の区画
|
46
|
鯖江藩第4代藩主間部詮茂(あきとお)は、安永3年(1773)、自ら領内各地を巡見したが、明和以降の凶作の惨状はひどかった。その時、領民は何を掘って飢えを凌いだといわれているか。
|
山芋
|
ゆり根
|
花の球根
|
葛根
|
4
|
葛根
|
47
|
また、その時に、領内の飢人に下附したものは、何。
|
紫雲米
|
作喰米
|
御膳米
|
菜花米
|
2
|
作喰米(さくじきまい)
|
48
|
鯖江藩第5代藩主詮熈(あきひろ)の時代には、財政的に一層行き詰るが、その原因は凶作と何。
|
領民の反乱
|
放漫財政
|
参勤交代
|
年貢の不払い
|
3
|
参勤交代
|
49
|
また、その時に、農家に出したお触書は何。
|
質素倹約令
|
農間稼の銀役
|
生類憐みの令
|
農家諸法度
|
2
|
農間稼の銀役(のうかんかせぎのぎんやく)
|
50
|
鯖江藩第5代藩主詮熈(あきひろ)時代に編さんされたものは。
|
越前鯖江志
|
間部家文書
|
寛政改御家人帳
|
従江戸到来御用状
|
1
|
越前鯖江志
|
51
|
たちまちわんぱくクラブお掃除隊は、毎年、榎お清水の掃除をしているが、その時にあわせてしている体験は何。
|
文楽体験
|
和紙体験
|
自然環境体験
|
蒔絵体験
|
4
|
蒔絵体験
|
52
|
たちまちわんぱくクラブお掃除隊は、毎年、榎お清水の掃除をしているが、その時にあわせてしている体験を行っている場所は。
|
近松会館
|
大谷公園
|
日野川
|
春慶寺
|
4
|
春慶寺
|
53
|
「たちまち近松人形劇団」が指導を受けている人形劇団は。
|
ひとみ座
|
とんと
|
ポポロ
|
ちろりん
|
2
|
とんと
|
54
|
「たちまち近松人形劇団」の平成21年度の演目は。
|
ぽんたのじどうはんばいき
|
さるかにばなし
|
つぼ人
|
千里のくつ
|
1
|
ぽんたのじどうはんばいき
|
55
|
「第14回近松まつりウォーキング」を先導したものは。
|
仮装行列
|
吹奏楽部
|
山車
|
マーチング
|
3
|
山車
|
56
|
鯖江藩第6代藩主間部詮允(あきざね)の在職年数は何年。
|
2年
|
5年
|
8年
|
12年
|
1
|
2年
|
57
|
詮允(あきざね)が、先代の遺志を継ぎ、江戸藩邸に創設したものは。
|
受福堂
|
儒学堂
|
惜陰堂
|
薬師堂
|
3
|
惜陰堂
|
58
|
詮允(あきざね)が国元に創設した藩校の名称は。
|
明徳館
|
明倫館
|
明道館
|
進徳館
|
4
|
進徳館
|
59
|
また、詮允(あきざね)が財政窮乏に対処するために改革を行ったものは。
|
年貢
|
産業
|
家禄
|
検地
|
3
|
家禄
|
60
|
鯖江藩第7代藩主間部詮勝(あきかつ)は、6回にわたり領内を巡見したが、その様子をまとめた人物は。
|
芥川希由
|
大郷信斎
|
芥川舟之
|
片寄帆山
|
1
|
芥川希由(あくたがわ きゆう
|
61
|
鯖江人形浄瑠璃「近松座」の発足当時の名称は。
|
文楽座
|
竹本座
|
たちまち座
|
松竹座
|
3
|
たちまち座
|
62
|
それでは、鯖江人形浄瑠璃「近松座」は、何を機会に結成されたのか。
|
福井国体
|
国民文化祭
|
近松サミット
|
近松記念碑庭園完成
|
2
|
国民文化祭
|
63
|
鯖江人形浄瑠璃「近松座」は、気持ちを合わせて近松の情を感じながら新しい鯖江の文化創造にチャレンジしているが、「近松座」が指導を受けている人形劇団は。
|
能勢人形浄瑠璃鹿角座
|
東二口文弥人形浄瑠璃保存会
|
冨田人形共遊団
|
真桑人形浄瑠璃劇団
|
3
|
冨田人形共遊団
|
64
|
火災時に避難所となった寺の男に会いたいばかりに放火し、火刑に処された八百屋お七で有名な井原西鶴の作品は。
|
日本永代蔵
|
世間胸算用
|
好色一代男
|
好色五人女
|
4
|
好色五人女
|
65
|
鯖江人形浄瑠璃「近松座」の演目で、五穀豊穣、子孫繁栄を願って演じられる賑やかな演目は。
|
酒飲童子枕詞
|
福寿海
|
豊年秋の田
|
寿式三番叟
|
4
|
寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
|
66
|
鯖江藩第7代藩主間部詮勝(あきかつ)が実施した領内巡見の様子が記録されている書物は。
|
更科紀行
|
政午紀行
|
北国紀行
|
野ざらし紀行
|
2
|
政午紀行(せいごきこう)
|
67
|
間部詮勝(あきかつ)の幕政における活躍で、文政9年(1826)に就いた役職は。
|
奏者番
|
京都所司代
|
寺社奉行見習
|
大坂城代
|
1
|
奏者番(そうじゃばん)
|
68
|
間部詮勝(あきかつ)が築城費5000両を賜った時の将軍は。
|
徳川家慶( いえよし)
|
徳川家斎(いえなり)
|
徳川家定(いえさだ)
|
徳川家茂(いえもち)
|
1
|
徳川家慶
|
69
|
安政5年(1858)井伊直弼が大老に就任すると、詮勝(あきかつ)は、再び、老中に復帰したが、その時の財政担当の役職名は。
|
外国御用掛
|
勘定掛
|
御両御用掛
|
勝手掛
|
4
|
勝手掛
|
70
|
幕府が勅許を待たず調印した条約で、詮勝(あきかつ)が事情を説明するために朝廷に参内し、大任を果たした条例は。
|
日米和親条約
|
日米修好通商条約
|
日米通商航海条約
|
下関条約
|
2
|
日米修好通商条約
|
71
|
近松門左衛門の母は、福井藩に勤める医師・岡本為竹(いちく)の娘との説があるが、その母の名前は
|
お初
|
お吉
|
喜里
|
喜久
|
3
|
喜里
|
72
|
「近松座」の演目「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)巡礼の段」に出てくる盗まれた殿の名刀は。
|
正宗
|
国次
|
兼光
|
国行
|
2
|
国次
|
73
|
近松門左衛門は、10年余りを鯖江で過ごした後、一家は鯖江を離れて引越しすることになるが、行き先はどこ。
|
大阪
|
近江
|
尼崎
|
京都
|
4
|
京都
|
74
|
近松の世話物のジャンルを確立した最初の作品は。
|
曾根崎心中(そねざきしんじゅう)
|
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)
|
心中天の網島(しんじゅうてんのあみしま)
|
女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)
|
1
|
曾根崎心中
|
75
|
では、近松最後の世話物作品は。
|
生玉心中(いくたましんじゅう)
|
五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねんぶつ)
|
心中万年草(しんじゅうまんねんそう)
|
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)
|
4
|
心中宵庚申
|
76
|
急激な政情変化により文久2年(1862)になると鯖江藩は領地減石となる。減石の規模はどれくらい。
|
5,000石
|
10,000石
|
15,000石
|
20,000石
|
2
|
10,000石
|
77
|
間部詮勝(あきかつ)は、国元鯖江の西山の景況を愛し、自ら命名した。その名称は。
|
大谷渓
|
河和田渓
|
東山渓
|
嚮陽渓
|
4
|
嚮陽渓(きょうようけい)
|
78
|
詮勝(あきかつ)の正室である簾子(れんこ)の父で、石見浜田65,000石の大名は。
|
松平昌明
|
松平昌方
|
松平昌邦
|
松平康任
|
4
|
松平康任(やすとう)
|
79
|
簾子は文墨に巧みであり数々の作品を今に見ることができるが、簾子の号は何か。
|
玉水
|
玉山
|
玉雪
|
玉春
|
3
|
玉雪
|
80
|
鯖江藩第8代藩主間部詮実(あきざね)は、幼少から読書を好み、詩・書画をたしなみ、武芸に励んだが、詮実が各種文献を筆まめに筆写しまとめた絵入りの随筆集は。
|
慶長見聞集
|
配所残筆
|
待月亭漫筆
|
折たく柴の記
|
3
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待月亭漫筆(たいげつていまんぴつ)
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81
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「第14回たちまち近松まつり」で、音楽団体(@JPO)とのコラボレーションで『曽根崎心中』を朗読した女性は。
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阿木燿子
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益戸育江
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黒木瞳
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二木あつ子
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2
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益戸育江
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82
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また、音楽団体(@JPO)と文楽人形のコラボレーションで『女殺油地獄』を公演した団体は。
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文楽座
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近松座
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鹿角座
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木偶童座
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4
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木偶童座(でくどうざ)
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83
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浄瑠璃演目『傾城阿波鳴門巡礼歌の段』では、父母恋しい娘が、西国巡礼をしながら大坂の隠れ家を訪ねてくるが、その娘の名は。
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お艶
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おつる
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お初
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お吉
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2
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おつる
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84
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「第14回たちまち近松まつり」で演じられ、近松も石田の渡しを利用して見に行き、近松作品に影響を受けたといわれているものは。
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幸若の舞
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やんしき踊り
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農村歌舞伎
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義太夫節
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1
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幸若の舞
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85
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近松門左衛門は、承応2年(1653)、越前に生まれるが、その家柄は。
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商人
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武士
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農民
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作家
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2
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武士
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86
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鯖江藩最後の藩主は誰。
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間部勝章
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間部詮正
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間部詮道
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間部詮善
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3
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間部詮道(あきみち)
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87
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鯖江藩最後の藩主の就任直後から出兵した戦争は。
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西南戦争
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佐賀の乱
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第2次長州征討
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戊辰戦争
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4
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戊辰戦争(ぼしんせんそう
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88
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明治4年(1871)、廃藩置県となり鯖江藩領は、鯖江県を経て何県に編入されたか。
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福井県
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敦賀県
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大野県
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丸岡県
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2
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敦賀県
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89
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明治17年(1884)、華族令が交付されると、第9代藩主の長男、間部詮信(あきのぶ)に与えられた爵位は。
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男爵
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公爵
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伯爵
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子爵
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4
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子爵
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90
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天保14年(1843)、間部詮勝(あきかつ)は、老中職を辞職するが、その理由は、誰と意見が不一致になっためか。
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井伊直弼
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林羅山
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田沼意次
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水野忠邦
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4
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水野忠邦
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91
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間部詮勝(あきかつ)は、晩年は詩文、書画をよくしたが、詮勝(あきかつ)の号は、松堂・常足斎の他、どのような号があるか。
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晩翠軒
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雪堂
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松雪斎
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大雅堂
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1
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晩翠軒
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