都道府県コード又は市区町村コード
|
NO
|
都道府県名
|
市区町村名
|
名称
|
名称_カナ
|
文化財分類
|
種類
|
場所名称
|
所在地
|
電話番号
|
員数(数)
|
員数(単位)
|
所有者等
|
文化財指定日
|
利用可能曜日
|
開始時間
|
終了時間
|
利用可能日時特記事項
|
説明
|
URL
|
備考
|
int
|
int
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
int
|
string:ja
|
string:ja
|
date
|
string:ja
|
time
|
time
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
string:ja
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
Assertion
|
1
|
27210
|
1
|
大阪府
|
枚方市
|
片埜神社本殿 附 棟札
|
カタノジンジャホンデン ツケタリ ムナフダ
|
国指定重要文化財
|
建造物
|
片埜神社
|
枚方市牧野阪2丁目21 番15 号
|
|
1
|
棟
|
片埜神社
|
|
|
|
|
|
片埜神社本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元を総奉行に再建したもので、三間社流造、檜皮葺で、細部にいたるまで桃山時代の華麗な様式をよく示しています。特に四面を飾る蟇股の彫刻に当時の特色を見ることができ、「竹に虎」、「芙蓉にせきれい」、「椿にひよどり」など、絵画的で精巧な彫刻がそろっていて見応えがあります。平成21年~23年に、檜皮葺屋根の葺替、彩色の塗装が行われ、朱漆塗に極彩色の壮麗な社殿がよみがえりました。大正6年4月5日に特別保護建造物に指定、昭和25年8月29日には文化財保護法による重要文化財に指定。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
2
|
27210
|
2
|
大阪府
|
枚方市
|
交野天神社本殿 附 棟札
|
カタノテンジンシャホンデン ツケタリ ムナフダ
|
国指定重要文化財
|
建造物
|
交野天神社
|
枚方市楠葉丘2丁目19 番1号
|
|
1
|
棟
|
交野天神社
|
|
|
|
|
|
交野天神社本殿は一間社流造、檜皮葺で、残されている棟札によると、応永9年(1402)の建築です。室町時代中期に遡る枚方市内の古建築としては最古のものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
3
|
27210
|
3
|
大阪府
|
枚方市
|
交野天神社末社八幡神社本殿
|
カタノテンジンシャマッシャハチマンジンジャホンデン
|
国指定重要文化財
|
建造物
|
交野天神社
|
枚方市楠葉丘2丁目19 番1号
|
|
1
|
棟
|
交野天神社
|
|
|
|
|
|
交野天神社末社八幡神社本殿は一間社流造、檜皮葺で、交野天神社本殿よりやや小ぶりですが、やはり応永頃の建築と考えられます。室町時代中期に遡る枚方市内の古建築としては最古のものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
4
|
27210
|
4
|
大阪府
|
枚方市
|
厳島神社末社春日神社本殿
|
イツクシマジンジャマッシャカスガジンジャホンデン
|
国指定重要文化財
|
建造物
|
厳島神社
|
枚方市尊延寺5丁目9番11 号
|
|
1
|
棟
|
厳島神社
|
|
|
|
|
|
厳島神社末社春日神社本殿は一間社流造、檜皮葺で、厳島神社旧本殿と伝えられています。建築年代は明らかではありませんが、交野天神社本殿と共通する様式も見られることから、室町時代中期に遡る遺構と考えられます。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
5
|
27210
|
5
|
大阪府
|
枚方市
|
木造菩薩坐像
|
モクゾウボサツザゾウ
|
国指定重要文化財
|
彫刻
|
京都国立博物館
|
京都市東山区茶屋町527
|
|
2
|
躯
|
清泰寺
|
|
|
|
|
|
像高は伝文殊菩薩坐像30.1センチメートル、伝普賢菩薩坐像31.4センチメートル。三尊像の脇侍として造られたとみられる一対の菩薩坐像で、平安時代前期の彫刻の特色が顕著にみられる優品です。平安時代前期の9世紀前半から半ば頃に製作されたとみられ、奈良国立博物館所蔵の国宝・薬師如来像に通じる作風から、同系の仏師の手になる作品と推定されます。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
京都国立博物館寄託
|
6
|
27210
|
6
|
大阪府
|
枚方市
|
木造降三世軍荼利明王立像
|
モクゾウゴウザンゼグンダリミョウオウリュウゾウ
|
国指定重要文化財
|
彫刻
|
尊延寺
|
枚方市尊延寺6丁目11 番1号
|
|
2
|
躯
|
尊延寺
|
|
|
|
|
|
像高は降三世明王立像158.0センチメートル、軍荼利明王立像(写真)158.9センチメートル。平安時代後期(11世紀前半)の、中央の仏師の手になる等身大の明王像です。両者の作風は異なりますが、大きさや細部の特徴的な形式が一致することから、五大明王のうち2体が残ったものとみられます。特に軍荼利明王像は、この時代の作例として極めて優れたもので、左足を蹴上げる姿が特徴的です。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
7
|
27210
|
7
|
大阪府
|
枚方市
|
百済寺跡
|
クダラデラアト
|
国指定
|
特別史跡
|
百済寺跡公園
|
枚方市中宮西之町4340 番
|
|
|
|
百済王神社
|
|
|
|
|
|
特別史跡百済寺跡は、東大寺大仏造立に際し、天平21年(749)百済王敬福が陸奥国産出の金を献上した功により、翌年宮内卿兼河内守に任ぜられ、以後一族が中宮に移住した際に建立した、氏寺の跡と考えられています。平成17年度から再整備に伴う発掘調査によって、当時の最新技術を駆使して造営され、堂塔のほかにも築地塀によって区画された寺院の経営にかかわる施設が整然と配置され、中央の官寺と比較しても遜色のない寺院であったことが判りました。昭和27年3月29日に特別史跡に指定され、昭和42年には全国で初めて史跡公園として整備されました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
8
|
27210
|
8
|
大阪府
|
枚方市
|
牧野車塚古墳
|
マキノクルマヅカコフン
|
国指定
|
史跡
|
車塚公園
|
枚方市車塚1丁目369 番ほか
|
|
|
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
穂谷川左岸の台地上に立地する前方後円墳で、全長107.5メートル、後円部径58メートル、前方部幅45メートルを測ります。主軸線をほぼ東西にとり、周溝をめぐらせ、西側から南側にかけて外堤があります。埋葬施設の構造や副葬品は不明ですが、出土遺物の特徴や墳丘の形状などから、築造時期は古墳時代前期中頃(4世紀後半)と考えられます。大正11年3月8日、史跡に指定、昭和55年2月19日に外堤南側および西側を追加指定。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
9
|
27210
|
9
|
大阪府
|
枚方市
|
禁野車塚古墳
|
キンヤクルマヅカコフン
|
国指定
|
史跡
|
|
枚方市宮之阪5丁目381 番3ほか
|
|
|
|
枚方市ほか
|
|
|
|
|
|
天野川に臨む低位段丘に築かれた前方後円墳です。墳丘は二段築成で主軸線をほぼ東西にとり、全長120メートル、後円部径63メートル、前方部幅55メートルを測る前期古墳です。前方部高3.4メートル、後円部高9メートル。近年、測量調査が行われ、奈良県の箸墓古墳の墳形とよく似た特徴を有していることが判りました。築造時期は古墳時代前期前半(4世紀前半)と考えられます。昭和47年3月22日、史跡に指定。その後、発掘調査により墳丘の広がりを確認したため、平成19年7月26日に後円部南東部分を追加指定。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
10
|
27210
|
10
|
大阪府
|
枚方市
|
楠葉台場跡
|
クズハダイバアト
|
国指定
|
史跡
|
|
枚方市楠葉中之芝2丁目4601番ほか
|
|
|
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
楠葉台場は京都防衛のために江戸幕府により築造された河川台場です。設計の総責任者は勝海舟で、「稜堡式」という西洋式築城技術を採り入れ、慶応元年(1865)に完成しました。土塁と堀で囲まれた約3万8千平方メートルの台場は、3カ所の砲座や、番所・火薬庫を備える大規模な施設で、京街道を引き込んで関門としての機能を併せ持つなど、軍事施設と交通施設が同居する珍しい特徴を持っていました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
11
|
27210
|
11
|
大阪府
|
枚方市
|
安養寺石造露盤
|
アンヨウジセキゾウロバン
|
大阪府指定
|
建造物
|
安養寺
|
枚方市南楠葉2丁目38 番17 号
|
|
1
|
基
|
安養寺
|
|
|
|
|
|
露盤は塔の屋頂に置いて雨仕舞の役目を果たす部材で、その上に宝珠を載せて屋根の装飾を兼ねました。この露盤は凝灰岩製で、風化して四隅の一角が欠けているものの原形をよく留めています。一辺110センチメートルの正方形で、中央ほぞ穴の周囲には八葉の複弁蓮華文が刻まれています。鎌倉時代以前の製作と考えられます。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
12
|
27210
|
12
|
大阪府
|
枚方市
|
正俊寺石造十三重塔
|
ショウシュンジセキゾウジュウサンジュウノトウ
|
大阪府指定
|
建造物
|
正俊寺
|
枚方市長尾宮前2丁目2番1号
|
|
1
|
基
|
正俊寺
|
|
|
|
|
|
江戸時代の領主久貝家の墓所がある菩提寺で、慶安2年(1649)久貝正世が父因幡守正俊を弔うために創建しました。その際、久貝家領中野村(四條畷市)正法寺から本尊釈迦如来坐像と十三重塔を移しました。石造十三重塔は高さ約4.36メートルで、風化が激しいものの、嘉暦2年(1327)の紀年銘が刻まれ、鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めています。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
13
|
27210
|
13
|
大阪府
|
枚方市
|
片埜神社東門 片埜神社南門
|
カタノジンジャヒガシモン カタノジンジャミナミモン
|
大阪府指定
|
建造物
|
片埜神社
|
枚方市牧野阪2丁目21 番15 号
|
|
2
|
棟
|
片埜神社
|
|
|
|
|
|
東門は、元は棟門でしたが後世に改造され、現在では小型の四脚門となっています。建築年代は明らかでありませんが、構造形式などから室町時代後期のものと見られます。南門は慶長7年の本社社殿再興に続いて再建された四脚門で、近世初頭における建立年代の明らかな数少ない遺構です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
14
|
27210
|
14
|
大阪府
|
枚方市
|
田中家住宅鋳物工場 田中家住宅主屋
|
タナカケジュウタクイモノコウジョウ タナカケジュウタクシュオク
|
大阪府指定
|
建造物
|
旧田中家鋳物民俗資料館
|
枚方市藤阪天神町5番1号
|
050-7105-8097
|
2
|
棟
|
枚方市
|
|
火~日曜日
|
|
|
月曜日休館、祝日の場合は翌平日が休館。12月29日~1月4日休館。
|
田中家は、河内鋳物師として代々鋳造業を営んできました。枚方市は、枚方上之町にあった鋳物工場と主屋の寄贈をうけ、藤阪に移築復原し旧田中家鋳物民俗資料館として開館しました。主屋は桁行8間・梁行4間半、切妻造本瓦葺で、鋳物師という火を扱う職業の性格上、建築当初から瓦葺でした。工場は桁行12間・梁行5間半、寄棟造本瓦葺で、近世の鋳物工場として全国に例を見ない珍しい建築遺構です。主屋の建築年代は元文4年(1739)を下限とし、工場もあまり隔たりのない時期の建築と考えられます。工場は昭和48年3月30日に、主屋は昭和50年8月27日に有形文化財に指定。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
15
|
27210
|
15
|
大阪府
|
枚方市
|
釈尊寺木造釈迦如来立像
|
シャクソンジモクゾウシャカニョライリュウゾウ
|
大阪府指定
|
彫刻
|
釈尊寺
|
枚方市釈尊寺町1番10 号
|
|
1
|
躯
|
釈尊寺
|
|
|
|
|
|
この仏像は、京都嵯峨の清涼寺の本尊釈迦如来立像とよく似た清涼寺式の秀作の一つです。清涼寺の釈迦如来立像は、永延元年(987)東大寺の僧ちょう然が宋から請来したもので、鎌倉時代に多くの模刻像が造られました。釈尊寺の釈迦如来像は、檜材の寄木造で、像高167センチメートル・総高242センチメートルを測り、鎌倉時代初期の作品と考えられます。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
16
|
27210
|
16
|
大阪府
|
枚方市
|
片埜神社石造灯籠
|
カタノジンジャセキゾウトウロウ
|
大阪府指定
|
工芸品
|
片埜神社
|
枚方市牧野阪2丁目21 番15 号
|
|
1
|
基
|
片埜神社
|
|
|
|
|
|
様式上鎌倉時代の遺品と見られる石灯籠です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
17
|
27210
|
17
|
大阪府
|
枚方市
|
百済寺跡出土せん仏
|
クダラデラアトシュツドセンブツ
|
大阪府指定
|
考古資料
|
|
枚方市都丘町6番9号
|
|
1
|
括
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
せん仏とは仏の姿をかたどった土製のタイル状のもので、古代寺院のお堂の内部壁面を飾ったり、礼拝に用いられたと考えられています。平成13年に百済寺跡の西隣で実施した発掘調査で見つかったせん仏は、図様から奈良時代に属するものと考えられ、当時の百済寺における信仰のあり方をうかがわせる貴重な資料で、特に大型多尊せん仏は全国的にも貴重な資料であることが評価されました。ひとつの遺跡から60点を超える多量のせん仏が出土した例は全国でも珍しいことです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
18
|
27210
|
18
|
大阪府
|
枚方市
|
継体天皇樟葉宮跡伝承地
|
ケイタイテンノウクズハノミヤアトデンショウチ
|
大阪府指定
|
史跡
|
|
枚方市楠葉丘2丁目19 番1号
|
|
|
|
交野天神社
|
|
|
|
|
|
『日本書紀』には、越前三国にいた男大迹王(おおどのおう)が樟葉で即位して継体天皇となり、5年にわたり宮を営んだと記しています。樟葉宮跡の位置は不明ですが、交野天神社の社叢に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ、小丘の麓に石碑が立っています。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
19
|
27210
|
19
|
大阪府
|
枚方市
|
伝王仁墓
|
デンワニハカ
|
大阪府指定
|
史跡
|
|
枚方市藤阪東町2丁目2220 番2ほか
|
|
|
|
国・大阪府
|
|
|
|
|
|
藤坂の山中におに墓と呼ばれる自然石があり、歯痛やおこりに霊験があると言われていました。元和2年(1616)、禁野村和田寺の道俊は王仁の子孫と称して「王仁墳廟来朝記」を著し、藤坂村字御墓谷のおに墓は王仁墓の訛ったものと記しました。享保16年(1731)京都の儒者並川誠所は道俊の書物をもとに、この石を王仁墓として崇敬するよう当地の領主久貝正順に進言し、石の後方に墓碑が立てられました。こうしておに墓は王仁墓に変わりました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
20
|
27210
|
20
|
大阪府
|
枚方市
|
田口山遺跡
|
タノクチヤマイセキ
|
大阪府指定
|
史跡
|
|
枚方市田口山2丁目2010 番3
|
|
|
|
山田神社
|
|
|
|
|
|
田口山遺跡は弥生時代中期後半に成立した高地性集落で、明治時代に磨製石剣が出土したほか、昭和13年と15年に発掘調査され竪穴住居跡が見つかり、土器や石器が出土しました。竪穴住居の発見例としては府内でも早い事例であり、かつ、土器と石器の共伴例は大変貴重であるため史跡に指定されました。以後も広い範囲で何度も発掘調査がされており、これまで40棟以上の竪穴住居跡や土器棺墓群が見つかっています。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
21
|
27210
|
21
|
大阪府
|
枚方市
|
枚方田中邸のむく
|
ヒラカタタナカテイノムク
|
大阪府指定
|
天然記念物
|
|
枚方市枚方上之町123 番4
|
|
|
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
ニレ科の落葉喬木で、樹高は21メートル、幹周は5.4メートルで樹齢約600年の巨樹です。鋳物師あるところ必ずむくの木ありと言われるほど、むくの木と鋳物師は関わりが深く、ざらざらとした葉が鋳物製品の研磨に用いられたと伝えられ、河内鋳物師田中邸のむくは、枚方金屋のシンボルでした。これほどのむくの巨木は府内でも珍しいものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
22
|
27210
|
22
|
大阪府
|
枚方市
|
光善寺のさいかち
|
コウゼンジノサイカチ
|
大阪府指定
|
天然記念物
|
光善寺
|
枚方市出口2丁目8番13 号
|
|
|
|
光善寺
|
|
|
|
|
|
文明7年(1475)蓮如は出口に到り、付近の人々に説法をしました。池に住む大蛇がその説法を聴き功徳を得たので池を蓮如に献上し、近くのさいかちの木から昇天したと伝えられています。その後、池は埋め立てられ光善寺が建立されました。さいかちの木は幹周2.2メートル、樹高約12メートル、樹齢200~250年と推定されています。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
23
|
27210
|
23
|
大阪府
|
枚方市
|
廃渚院観音寺鐘楼
|
ハイナギサノインカンノンジショウロウ
|
枚方市指定
|
建造物
|
|
枚方市渚元町9番23 号
|
|
1
|
棟
|
渚元町自治会ほか
|
|
|
|
|
|
惟喬親王の別荘であった渚院の跡に建てられたとされる観音寺は、明治3年(1870)廃寺となりましたが、鐘楼と梵鐘が残っています。鐘楼は方1間吹き放ちで、棟木に残る棟札から寛政8年(1796)に建立されたことが判ります。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
24
|
27210
|
24
|
大阪府
|
枚方市
|
村野村高札場
|
ムラノムラコウサツバ
|
枚方市指定
|
建造物
|
|
枚方市村野本町10 番62 号先
|
|
1
|
棟
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
江戸時代の公的施設として村の中心地に設けられ、キリシタンや強訴徒党の禁令や諸々の法度が板札に墨書され掲示されていました。明治に入り、法令の布達方法としてふさわしくないと考えられ全国的に撤去されましたが、当高札場は撤去されずに残りました。府内でも珍しく、市内では唯一現存するものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
25
|
27210
|
25
|
大阪府
|
枚方市
|
鍵屋主屋
|
カギヤシュオク
|
枚方市指定
|
建造物
|
市立枚方宿鍵屋資料館
|
枚方市堤町10 番27 号
|
072-843-5128
|
1
|
棟
|
枚方市
|
|
水~月曜日
|
|
|
火曜日休館、祝日の場合は翌平日が休館。12月29日~1月4日休館。
|
京街道に面し枚方宿を代表する町家で、19世紀初頭に建築されたと推定されます。3間続きの客間と広いヒロシキがあり、客人が酒や団子等を供しながら船を待つのに使ったと思われます。裏手は淀川に面しており、トオリニワを抜けると船着場に出ることができました。また、手前にカマヤ(炊事場)、奥にダイドコロがあります。カマヤは、一般には家の裏手にあり、このような例は少なく、煮売屋などの商売をしていた町家に限られます。解体修理工事を行い、平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館として開館しました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
26
|
27210
|
26
|
大阪府
|
枚方市
|
大聖寺薬師堂内厨子
|
ダイショウジヤクシドウナイズシ
|
枚方市指定
|
建造物
|
大聖寺
|
枚方市春日元町2丁目16 番30 号
|
|
1
|
棟
|
大聖寺
|
|
|
|
|
|
桃山時代製作の宮殿形厨子は、正面4尺・奥行1尺8寸、総漆塗で、軸部や軒回りには仏堂の格式ある方式を用いており、特に頭貫木鼻に施された猪目と2つの渦には、桃山的な線の力強さが認められます(一般公開はされていません)。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
27
|
27210
|
27
|
大阪府
|
枚方市
|
交野天神社末社貴船神社本殿
|
カタノテンジンシャマッシャキブネジンジャホンデン
|
枚方市指定
|
建造物
|
交野天神社
|
枚方市楠葉丘2丁目19 番1号
|
|
1
|
棟
|
交野天神社
|
|
|
|
|
|
交野天神社の境内東北の丘に建つ、桁行1メートル余の小さな一間社流造です。建立年代は明らかでありませんが、面取角柱の面の大きさ、木鼻の絵様繰形、連三斗、優雅な曲線の高欄、猪目懸魚等から桃山時代に遡る遺構とみられます。規模の割に柱が太く、和様による水平感の強い社殿です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
28
|
27210
|
28
|
大阪府
|
枚方市
|
春日神社本殿・春日神社末社若宮八幡宮本殿(津田)
|
カスガジンジャホンデン・カスガジンジャマッシャワカミヤハチマングウホンデン
|
枚方市指定
|
建造物
|
春日神社
|
枚方市津田元町1丁目10 番1号
|
|
2
|
棟
|
春日神社
|
|
|
|
|
|
春日神社は、市域東部の中心的村落であった津田の氏神です。春日神社本殿は奈良春日大社の旧本殿を移築した「春日移し」、末社若宮八幡宮本殿は奈良春日大社末社三十八所神社の旧社殿を移築した「三十八所移し」です。「春日移し」は全国で30棟を数える一方、「三十八所移し」は、奈良県内に7棟、大阪府内でこの1棟しか確認されていません。両社殿とも、春日大社所蔵の「河州交野郡津田村春日遷宮記」により、明和3年(1766)の建立で、天明6年(1786)に譲り受けたことが判ります。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
29
|
27210
|
29
|
大阪府
|
枚方市
|
浄念寺木造不動明王立像
|
ジョウネンジモクゾウフドウミョウオウリュウゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
浄念寺
|
枚方市三矢町7番21 号
|
|
1
|
躯
|
浄念寺
|
|
|
|
|
|
元は万年寺所蔵の仏像で、明治3年(1870)万年寺が廃寺になったため、鐘楼などとともに淨念寺に移されました。檜材の寄木造で、像高は96.3センチメートルを測り、鎌倉時代前期の製作と考えられます(見学は要予約。浄念寺:072-846-3393)。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
30
|
27210
|
30
|
大阪府
|
枚方市
|
和田寺木造薬師如来立像
|
ワダデラモクゾウヤクシニョライリュウゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
和田寺
|
枚方市禁野本町2丁目7番43 号
|
|
1
|
躯
|
和田寺
|
|
|
|
|
|
鎌倉時代の制作で、市内における鎌倉時代の仏像としては秀作で、保存状態も良好です。檜材の割矧造、像高は98.5センチメートルを測ります。拝観は正月3カ日と4月第1土曜日(4月8日が土曜日の場合は、4月8日)に限られています。(和田寺:072-849-6120)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
31
|
27210
|
31
|
大阪府
|
枚方市
|
尊延寺木造不動明王立像
|
ソンエンジモクゾウフドウミョウオウリュウゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
尊延寺
|
枚方市尊延寺6丁目11 番1号
|
|
1
|
躯
|
尊延寺
|
|
|
|
|
|
制作年代は、12世紀前半(平安時代後期)と考えられ、京都の仏師による作例です。寄木造で、像高161.3センチメートルを測ります。後世の修理により像の表面は荒れていますが、平安時代の本格的な不動明王像として注目されます。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
32
|
27210
|
32
|
大阪府
|
枚方市
|
尊延寺木造四大明王像のうち大威徳明王坐像・金剛夜叉明王立像
|
ソンエンジモクゾウヨンダイミョウオウゾウノウチダイイトクミョウオウザゾウ・コンゴウヤシャミョウオウリュウゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
尊延寺
|
枚方市尊延寺6丁目11 番1号
|
|
2
|
躯
|
尊延寺
|
|
|
|
|
|
像高は大威徳明王坐像(写真)92.7センチメートル、金剛夜叉明王立像157.0センチメートル。四大明王像のうち、大威徳明王坐像・金剛夜叉明王立像は、当初の材を一部残すと思われますが、大半は近世の後補作です。重要文化財に指定された降三世明王立像・軍荼利明王立像と合わせて、全体として四大明王のまとまりをよく残し、全国的にも等身大の作例として重要なものです。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
33
|
27210
|
33
|
大阪府
|
枚方市
|
尊延寺木造地蔵菩薩立像
|
ソンエンジモクゾウジゾウボザツリュウゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
尊延寺
|
枚方市尊延寺6丁目11 番1号
|
|
1
|
躯
|
尊延寺
|
|
|
|
|
|
一木造で、像高93.3センチメートルを測ります。奈良県室生村中村区安産寺の地蔵菩薩(重要文化財)や法隆寺に伝わる地蔵菩薩(国宝)と類似点がみられます。面貌の表現や体躯の量感などから10世紀(平安時代中期)の制作と考えられます。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
34
|
27210
|
34
|
大阪府
|
枚方市
|
安養寺木造宝冠釈迦如来坐像
|
アンヨウジモクゾウホウカンシャカニョライザゾウ
|
枚方市指定
|
彫刻
|
安養寺
|
枚方市南楠葉2丁目38 番17 号
|
|
1
|
躯
|
安養寺
|
|
|
|
|
|
鎌倉時代に禅宗とともに請来したのが宝冠釈迦如来像で、本像は頭部に金銅製の宝冠をいただき、定印を結ぶ高さ41.8センチメートルの坐像です。小像ながら、バランスがよく、刀技の冴えた仕上がりを示す優品で、宝冠・胸飾りは後世の補修です。鎌倉時代後期に制作され、宋様式をよく伝えています(一般公開はされていません)。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
35
|
27210
|
35
|
大阪府
|
枚方市
|
廃渚院観音寺梵鐘
|
ハイナギサノインカンノンジボンショウ
|
枚方市指定
|
工芸品
|
|
枚方市渚元町9番23 号
|
|
1
|
口
|
渚元町自治会ほか
|
|
|
|
|
|
惟喬親王の別荘であった渚院の跡に建てられたとされる観音寺は、明治3年(1870)廃寺となりましたが、鐘楼と梵鐘が残っています。梵鐘は河内国惣官鋳物師枚方田中家の作で、鐘楼と同じく寛政8年の鋳造です。田中家鋳造の梵鐘としては、市内に残る唯一のものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
36
|
27210
|
36
|
大阪府
|
枚方市
|
久修園院地球儀
|
クシュウオンインチキュウギ
|
枚方市指定
|
工芸品
|
久修園院
|
枚方市楠葉中之芝2丁目46 番
|
|
1
|
基
|
久修園院
|
|
|
|
|
|
元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。張子製・手書(墨書)。紙製で直径20センチメートルを測ります。球面上に描かれている世界図の各大陸の位置や形状は、仏教的な解釈で配置されています。宗覚律師は、久修園院の中興の祖と言われ、宗教活動はもとより、宗教学、地理学、医学、天文学、絵画、工芸、音楽、武術などを究め、多才多能で後世に残した業績は大きく、天球儀とともに、その業績の一端に触れる貴重な資料です。見学は要予約(久修園院:072-857-3969)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
37
|
27210
|
37
|
大阪府
|
枚方市
|
久修園院天球儀
|
クシュウオンインテンキュウギ
|
枚方市指定
|
工芸品
|
久修園院
|
枚方市楠葉中之芝2丁目46 番
|
|
1
|
基
|
久修園院
|
|
|
|
|
|
元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。球面に天球の星辰(星座)を銘記したもので、天儀とも呼ばれています。銅製で直径52センチメートルを測ります。その支柱(子午環)に「以天文博士保井算哲之図模作焉 老比丘宗覚正直自運錐鑽雕焉」と銘文が刻まれ、箱には「天球之図」という墨書があります。宗覚の宇宙への関心を示すものとして興味深く、その製作技法もさることながら、彼の天文学への造詣の深さを物語っています。見学は要予約(久修園院:072-857-3969)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
38
|
27210
|
38
|
大阪府
|
枚方市
|
尊延寺大般若経 附 唐櫃
|
ソンエンジダイハンニャキョウ ツケタリ カラビツ
|
枚方市指定
|
書跡・工芸品
|
|
枚方市車塚2丁目1番1号
|
|
598
|
帖
|
尊延寺
|
|
|
|
|
|
経は、文永8年~11年(1271~1274)、津田郷の領主的存在であった中原宗包が父母の十三回忌の追善のために、三之宮神社に奉納したものです。本資料は、鎌倉時代中期に摺写された書写経・版経で、全600帖のうち598帖が残っており、現在に至るまでほぼ全巻が原所有者の元に残されている例は珍しく、また、摺写された時代が判明する例としても貴重な資料です。尊延寺大般若経を収納していた唐櫃は、当初、3合あったと考えられますが、2合しか残っていません。2合とも杉材で、寸法もほぼ同じ縦約51センチメートル、横約70センチメートル、高さ約63センチメートルを図ります。(一般公開はされていません)。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
39
|
27210
|
39
|
大阪府
|
枚方市
|
九頭神廃寺出土銅造誕生釈迦仏立像
|
クズガミハイジシュツドドウゾウタンジョウシャカブツリュウゾウ
|
枚方市指定
|
考古資料
|
|
|
|
1
|
躯
|
個人
|
|
|
|
|
|
明治20年代に牧野駅の東方、穂谷川右岸の台地上の「どんどん山」と呼ばれた茶畑で発見されました。付近にはかつて古代寺院(九頭神廃寺)が存在し、この像も古代寺院と関係するものと考えられます。ロウ型による鋳造と思われる白鳳時代の仏像です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
40
|
27210
|
40
|
大阪府
|
枚方市
|
三浦蘭阪関係資料
|
ミウラランパンカンケイシリョウ
|
枚方市指定
|
歴史資料
|
|
枚方市車塚2丁目1番1号
|
|
2720
|
点
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
三浦蘭阪は、医業に従事するかたわら、本草学や国学などの影響を受けてさまざまなものを蒐集しました。本資料は、著述書類、文書、書状類、彫刻、絵画類等に大別することができ、平安時代から鎌倉時代の法隆寺文書や社家文書などの古文書を多く蒐集していることを特徴とし、点数は2,716点に上ります。これらは、蘭阪の事跡を知る上で基本資料であり、三浦家伝来の一括資料としても価値があります。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
41
|
27210
|
41
|
大阪府
|
枚方市
|
片岡家文書
|
カタオカケモンジョ
|
枚方市指定
|
歴史資料
|
|
枚方市車塚2丁目1番1号
|
|
7549
|
点
|
個人
|
|
|
|
|
|
片岡家文書は、招提村の片岡家に伝来した文書群です。招提は戦国時代に成立した寺内町で、片岡家はその草創に関与し、江戸時代には庄屋を勤めました。7,549点を数える文書群には、約1,900点の村方文書のほか、佐久間信盛や松花堂昭乗など近世前期の著名人が発給した書状等の蒐集資料約100点などがあります。招提の歴史をはじめ、豊臣家の地方支配の一端、村役人としての動向など、枚方市の歴史解明に欠くことのできない貴重な文書群です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
42
|
27210
|
42
|
大阪府
|
枚方市
|
今中家旧蔵文書
|
イマナカケキュウゾウモンジョ
|
枚方市指定
|
古文書
|
|
枚方市車塚2丁目1番1号
|
|
3238
|
点
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
今中家旧蔵文書は、河内国交野郡楠葉村南組(現在の枚方市南楠葉)の庄屋を勤めた今中家に伝来した古文書群です。中世から近代初頭までの3,238点を数え、そのうち20点が中世文書です。楠葉の自治に関する史料が多く、その内容も多岐にわたっており、枚方市の中世史・近世史の研究上稀少かつ重要な史料群です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
43
|
27210
|
43
|
大阪府
|
枚方市
|
意賀美神社の算額
|
オカミジンジャノサンガク
|
枚方市指定
|
有形民俗文化財
|
意賀美神社
|
枚方市枚方上之町1番12 号
|
|
1
|
面
|
意賀美神社
|
|
|
|
|
|
和算家(江戸時代の数学者や数学愛好家)が数学の問題や解答を書いて神社などに奉納したものが算額で、意賀美神社の算額は摂津麻田藩の岩田清庸が文久元年(1861)に奉納したものです。問題は3問あり、清庸は病に罹り枚方宿内で養生し、神の加護により回復したので感謝の意をこめて算図一編を奉納したと記しています。(見学は要予約。意賀美神社:072-841-2790)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
44
|
27210
|
44
|
大阪府
|
枚方市
|
三之宮神社の湯釜
|
サンノミヤジンジャノユガマ
|
枚方市指定
|
有形民俗文化財
|
三之宮神社
|
枚方市穂谷2丁目7番1号
|
|
1
|
口
|
三之宮神社
|
|
|
|
|
|
永禄元年(1558)の銘を持つ三脚付湯釜で、湯立神事に用いられたものと思われます。この湯釜が造られた頃、当地域には三之宮神社を中心とした惣村的自治組織がありました。この湯釜は、当時の様子をうかがう貴重な資料です。(三之宮神社:072-858-0740)
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
45
|
27210
|
45
|
大阪府
|
枚方市
|
御殿山神社遷宮絵馬
|
ゴテンヤマジンジャセングウエマ
|
枚方市指定
|
有形民俗文化財
|
御殿山神社
|
枚方市渚本町12 番55 号
|
|
1
|
面
|
御殿山神社
|
|
|
|
|
|
御殿山神社の遷宮を描いた奉納額です。縦76センチメートル、横176.5センチメートルを測ります。御殿山神社は、渚院跡の観音寺境内に隣接して文政年間(1818~1829)に設けられた西粟倉神社が、明治初年の神仏分離令によって、明治2年(1869)、御殿山に社殿を造営し、同3年9月19日当地に遷宮、御殿山神社と改称しました。極彩色の奉納額には、西粟倉神社から御殿山の新社殿への賑々しい遷宮の行列が描かれており、また、当時の建物構造が正確に描かれている貴重な資料です。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
46
|
27210
|
46
|
大阪府
|
枚方市
|
旧田中家鋳物用具と製品一式
|
キュウタナカケイモノヨウグトセイヒンイッシキ
|
枚方市指定
|
有形民俗文化財
|
枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館
|
枚方市藤阪天神町5番1号
|
050-7105-8097
|
1
|
式
|
枚方市
|
|
火~日曜日
|
|
|
月曜日休館、祝日の場合は翌平日が休館。12月29日~1月4日休館。
|
旧田中家は、枚方上之町で代々鋳造業を営んでいました。「旧田中家鋳物用具と製品一式」は、江戸時代から昭和40年(1965)頃に廃業するまでの田中家の鋳物業に関する資料群で、原材料・調整用具、施設関係用具、鋳造関係用具、製品までの合計506点からなります。大阪府内の鋳造に関する有形民俗文化財資料としては、もっともよくまとまったもので、江戸時代の鋳物師による伝統的な鋳造技術である真土型法の特徴と推移を理解するために重要であるとともに、近世から近代にかけての枚方市やその周辺の人々が使用していた鋳物製品の概要と特色を示す資料として貴重なものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
47
|
27210
|
47
|
大阪府
|
枚方市
|
鍵屋
|
カギヤ
|
枚方市指定
|
史跡
|
市立枚方宿鍵屋資料館
|
枚方市堤町10 番27 号
|
072-843-5128
|
|
|
枚方市
|
|
水~月曜日
|
|
|
火曜日休館、祝日の場合は翌平日が休館。12月29日~1月4日休館。
|
♪ここはどこじゃと船頭衆に問えばここは枚方鍵屋浦、ここは枚方鍵屋の浦よ綱も碇も手につかぬ、鍵屋浦には碇がいらぬ三味や太鼓で船とめる♪「淀川三十石船唄」に唄われる鍵屋は枚方宿を代表する船待ちの宿です。平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館として開館しました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
48
|
27210
|
48
|
大阪府
|
枚方市
|
九頭神廃寺
|
クズガミハイジ
|
枚方市指定
|
史跡
|
九頭神廃寺史跡公園
|
枚方市牧野本町1丁目210 番13 外
|
|
|
|
枚方市
|
|
|
|
|
|
九頭神廃寺は北河内で最も早く建立された古代寺院の一つとして、また高句麗系の軒丸瓦が出土することで古くから知られていましたが、開発の波にのまれほとんど宅地化されてしまっています。昭和58年以降、その実態調査に取り組み、主要堂塔の一つである塔基壇やその下層にひろがる前身寺院(もしくは豪族居館)などの検出をみたほか、部分的ではありますが、東・西・北辺の寺院を区画すると考えられる溝などが確認されています。また、寺院経営にかかわる付属院地の発見は、地方寺院では例が少なく、加えて、寺院地の北西角が確定されたことの意義も大きく、寺院地北西部外側で検出された宝幢遺構の存在も特筆すべきものです。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
49
|
27210
|
49
|
大阪府
|
枚方市
|
禁野本町遺跡
|
キンヤホンマチイセキ
|
枚方市指定
|
史跡
|
|
枚方市中宮北町50 番107、中宮北町2番6号南東
|
|
|
|
枚方市、(独)都市再生機構
|
|
|
|
|
|
奈良時代から平安時代前期にかけての遺構群として、大型掘立柱建物を含む掘立柱建物・井戸・道路などの遺構が広範囲に見つかっています。本遺跡は百済寺跡との位置関係や出土遺物の内容から、百済王氏と密接な関係を有していたものと考えられます。また、百済寺跡の伽藍中軸線に続く南北道路とそれに交わる東西道路が検出され、その十字路(十字街)を境にして、北東・南東・北西・南西部分がそれぞれ性格の異なった遺構群が検出され、計画性のあるまちづくりが行われていた状況が明らかとなりました。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
50
|
27210
|
50
|
大阪府
|
枚方市
|
光善寺(出口御坊跡)
|
コウゼンジ(デグチゴボウアト)
|
枚方市指定
|
史跡
|
光善寺
|
枚方市出口2丁目8番13 号
|
|
|
|
光善寺
|
|
|
|
|
|
出口は、文明7年(1475)本願寺第8世蓮如が建立した御坊を中心に発達した寺内町で、蓮如は御坊(のちの光善寺)を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行いました。光善寺は広大な寺域と御堂・山門・太鼓楼・書院・庭園等の江戸時代の伽藍配置を残し、寺内町の核として風格を今に伝えています。17世紀に遡る山門や数寄屋風書院等があり、天明2年(1782)の御堂、同7年の太鼓楼等があります。
|
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000002755.html
|
|
51
|
27210
|
51
|
大阪府
|
枚方市
|
大阪歯科大学牧野学舎本館
|
オオサカシカダイガクマキノガクシャホンカン
|
国登録有形文化財
|
建造物
|
大阪歯科大学
|
枚方市牧野本町1丁目4番4号
|
|
1
|
棟
|
学校法人大阪歯科大学
|
|
|
|
|
|
昭和4年に建築、昭和37年に増築された、鉄筋コンクリート造3階建で、正面中央に塔を立ち上げ、左右に翼部を張り出したほぼ左右対称の建築構造です。各階に水切りを回して水平感を強めるとともに、西側に付けられたアルコーブの出窓によって落ち着いた優しい意匠となっており、大正から昭和初期のモダニズム建築の流れをくむ質の高い校舎建築です。阪神甲子園球場等の設計を手がけた今林彦太郎が設計しました。
|
|
|
52
|
27210
|
52
|
大阪府
|
枚方市
|
宗左の辻の道標
|
ソウザノツジノドウヒョウ
|
枚方市登録
|
有形文化財
|
|
枚方市岡本町3番4号東側市道上
|
|
1
|
基
|
|
|
|
|
|
|
枚方宿内の京街道上に建つ道標で、岩船街道との分岐を示しています。製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったので「宗左の辻」と呼ばれています。道標には、倉治の滝へ43丁、京へ6里、八幡へ2里の距離であること、願主として4人の商人の名、そして文政9年11月に建立したことが刻まれています。
|
|
|
53
|
27210
|
53
|
大阪府
|
枚方市
|
明治十八年洪水碑
|
メイジジュウハチネンコウズイヒ
|
枚方市登録
|
有形文化財
|
|
枚方市桜町16 番地先
|
|
1
|
基
|
|
|
|
|
|
|
明治18年(1885)6月18日・7月2日の豪雨により、三矢村・伊加賀村の淀川堤防が2度決壊し、茨田郡一円を水没させ、濁流は大阪市中にもおよびました。洪水の悲惨さを風化させぬように翌19年に大阪府と有志により建立されました。大洪水の惨事を今に伝える貴重な文化財です。また、関連した資料は淀川資料館(枚方市新町2丁目2-13)で展示されており、淀川の洪水と改修の歴史を紹介しています。
|
|
|
54
|
27210
|
54
|
大阪府
|
枚方市
|
仁明天皇外祖母贈正一位田口氏之墓
|
ニンミョウテンノウガイソボゾウショウイチイタグチシノハカ
|
枚方市登録
|
記念物
|
|
枚方市田口3丁目291 番
|
|
|
|
(土地所有者:近畿財務局)
|
|
|
|
|
|
仁明天皇の外祖母である田口氏の娘の墓とされ、地元で大切に受け継がれてきました。『続日本後紀』には仁明天皇が外祖母に最高の位である「正一位」を贈り、この付近に墓を作ったと記されています。
|
|
|
55
|
27210
|
55
|
大阪府
|
枚方市
|
三之宮神社の雨乞返礼の石燈籠
|
サンノミヤジンジャノアマゴイヘンレイノイシドウロウ
|
枚方市登録
|
民俗文化財
|
三之宮神社
|
枚方市穂谷2丁目7番1号
|
|
4
|
基
|
三之宮神社
|
|
|
|
|
|
三之宮神社は古くから雨乞いの神社として信仰されており、「雨乞御返禮五箇村」、「請雨御返禮」の銘のある4基の石燈籠は、江戸時代の雨乞いの返礼に奉納されたもの。江戸時代の雨乞行事を物語る貴重な民俗文化財です。
|
|
|
56
|
27210
|
56
|
大阪府
|
枚方市
|
交野節
|
カタノブシ
|
大阪府記録選択
|
無形民俗文化財
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
交野節は、河内国交野郡で発生して江戸時代中期から後期に移る頃に成立したとされます。その後幕末から明治期に、主に北河内地域の盆踊りで流行し広まった盆踊りと言われています。交野節の主要な特徴のひとつは、七七七五七五の定型詩を繰り返して唄い、決まった区切りで「ヨホホイホイ」掛け声が入ることです。大阪府下で残る数少ない伝承音頭のひとつであり、現在も地域の各保護団体において交野節の唄および踊りが継承されています。
|
|
|